私のめざすもの
著書紹介「一生を棒に振って」

主宰 今西三典(いまにし みつのり)

【略歴】


鹿児島に生まれる。

現鹿児島大学教育学部・東京芸術大学音楽学部声楽科卒業、同大学指揮科修了。

声楽を柴田睦陸、指揮を渡邉暁雄、金子登の各氏に師事。

1966年、日本合唱協会を指揮しての「指揮リサイタル」は当時異例のこととして話題になる。

1957 年から15 年間都立明正高校に勤務し合唱団の育成に力を注ぎ、NHK合唱コンクール

で東京都1位を通算6 回、全国優秀賞を1回、優良賞を2回受賞。

社会人合唱団の育成にも力を注ぎ、産業人合唱祭関東大会で「東レ」「リコー」「野村証券」の

各団体が優秀賞受賞。

「今西混声合唱団」 東京都民合唱コンクール1 位等の実績がある。

日本声楽発声学会会員、くらしき作陽大学名誉教授。著書に「一生を棒に振って」。

現在、明正合唱団、女声合唱団「グリーン・エコー」、「ヴォーチェ・ヴェルデ」指揮者。

姫路市musica・amante で声楽家を指導。

混声合唱団「今西楽友会」を平成元年に創設以来、主宰・指揮者。


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「私のめざすもの」

人間は誰でも歌うことが好きです。

またその楽しみ方も千差万別です。

ただ漫然と歌うだけでは、物足りないと思いませんか。

今西楽友会では次のようなことに着目し、細心の注意を払いながら、

団員と共に合唱の深い歓びを追求しています。


1.素材である「発声指導」に重点を置いています

 人間が本来持っている素晴らしい発声機能を認識させ、その使い方を

 科学的に段階的に理解させます。歌っている人も、聴いている人に

 も、快い響きでなくてはなりません。

2.合唱には多くの言語による詩があります

 音符の下にひらがなで書いてある詩を、記号として歌うのではなく、

 詩としてその心を歌わせます。

3.楽譜を観念的に捉えるのではなく、いかに正確に歌うかを常に

 心がけます

4.望ましい発声・正しい音程・明確な発音によるハーモニーを

 創ります

5.指揮者の意図を敏感に感じ、同じ息遣いで音楽表現できること

6.時間芸術である合唱のその一瞬に、すべてをかける集中力を

 つけること

7. 歌うたびに新しい発見と、充実感が持てる活動であること

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著書紹介


 
一生を棒に振って(今西三典著)


− 「暗闇のバイエル」から抜粋 −


 その時代、学校のピアノは配給だったそうで、真新しいグランドピア

ノが体育館に置いてあったが、それに手を触れる人はいなかった。生来

の好奇心が頭をもたげ、三本足で立っている気位の高そうな怪物に恐る

恐る近づき、生まれて初めて触ってみた。

 はじめは拳骨で叩いてみたり腕で押さえたりしてみたが、何も操作し

なくても音が出ることに感心してしまった。指で単音を押さえると澄ん

だ音が聞こえ、ひとつおきに押さえると何ともいえない響きが出ること

にすっかり感動してしまった。当時は和音などという言葉すら知らなか

った。その瞬間からすっかりピアノの虜になり、図書室の本棚で発見し

たバイエルなるものを読み始め、鍵盤と音譜とを見比べながらの練習が

始まった。

 当時は宿直制度があり、男の先生が交代で学校に泊まり管理すること

になっていた。戦時中で若い者はほとんどおらず、妻帯者や女教師だけ

であったためか、一番若い私は『宿直を替わって欲しい』とよく頼まれ

た。そのたびに『ピアノが夜通し弾ける』という嬉しさから喜んで引き

受けた。おまけに、食料不足の時代にもかかわらず毎日たくさんの差し

入れもあり、私にとっては夜の宿直はまさに天国であった。ほとんど寝

るまも惜しくピアノに向かった。

 そのせいか二ヶ月でバイエルを暗譜してしまった。電気がないため皿

にロウソクを立て、一曲覚えるごとに火を消し、暗譜を確かめるために

何回となく弾き続けた。誰も教えてくれず、まったくの独学で弾けるよ

うになったバイエルの一曲一曲が、当時の私にとっては、まるで天国の

音楽のように思え、夜の更けるのも忘れ暗闇の体育館で弾くピアノの音

に陶酔していたころを思い起こしている。


 音楽を志して今年でちょうど五十五年を経過した。あのころ狂ったよ

うにピアノにむしゃぶりついていたのは何だったのだろうかと考えるこ

とがある。同じような質問を執筆中にも受けたが、自分でも分からない

。あのころは個人の意思に拘わりなく、成人すれば間違いなく戦争のた

めに命を捧げなくてはならないという想いがあったことは確かであり、

誰でもそれは避けられないものと覚悟していた。個人の意思も、自由も

、食い物も、夢も、すべて統制と禁止の抑圧の時代に青春を過ごした者

が、敗戦という予想だにしない事態に遭遇したのだった。ほとんどの日

本人が虚脱状態に陥り、なすすべを知らなかったときでもあった。

 もしあの衝撃的なダメージを受けた昭和二十年八月に、ピアノという

授かりものに出合う機会がなかったら、私は間違いなく人生を踏みはず

し破滅の道を辿っていたと思う。

 「私の人生を変えたもの」それは間違いなく音楽そのものであったと

信じている。

 無心で弾いたピアノの音が、バイエルの曲が、荒んでいた私の気持ち

を癒し、母のように温かく豊かな愛で包み込んでくれた至高の時を忘れ

ることはない。


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